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study誕生秘話 代表・柳 智巳インタビュー記事
June.2003 :::Collage(コラージュ):::Japan made story 掲載 / writer 金丸 裕子


“ハンドメイドケーキのように靴を作ることから始めた”


 4年前の夏、裏原宿の小さなセレクトショップで見つけた靴に一目惚れをした。暗緑色のヌバックにブロンズ色のペイズリー模様をプリントしたクラシックな素材に魅せられたのだ。靴の中底には「TOMOMI YANAGI * STUDY」のロゴ。作り手のポエティックな個性にひかれ、どんな人なのだろうと想い描きながら靴を抱いて帰路についた。

「あの靴はね、ヨーロッパ中世の聖書の表紙をイメージして、革の段階からデザインして作ったんですよ」
 私をひとめで虜にした靴をデザインした人、柳智巳氏は茶のセーターをさりげなく着込み、ツイードのニッカボッカーズにチロリアンシューズという出で立ちで目の前に座っている。場所はラフォーレ原宿3.5階にある「ザジ」というカフェ。椅子やテーブル、カフェオレカップ、どれもバラバラで不揃いだけれど、どこか懐かしく温かな雰囲気が漂う。窓際の席にいつ少女たちの無邪気な声が時折聞こえる。ルイ・マル監督の映画「地下鉄のザジ」からのネーミングで、隣はシューズデザイナー集団スタディーの直営店「カルネ」だ。
 宝物箱を覗き込む楽しさがカルネにはある。水色の一人掛けソファーはアンティーク。卵色にペイントした手作りの棚、ヴィクトリア調のテーブルがぽつんぽつんと置かれ、その上にはエナメルのバレエシューズやタペストリー柄のミュール、レースアップ・ブーツなどが並んでいる。それぞれの靴が強烈な個性を放つのは、WORKERS FOR SHOE FREEDOMをスローガンに、5人のデザイナーが自由な発想で思い思いに靴を作っているからだ。
「6年前にスタディーを始めるまで、永いあいだ自由なクリエーションがしたくてフラストレーションがたまっていましたからね。企画デザインの仕事をフリーでしていて、自分では最高だと描いた絵でも契約先の会社からは早過ぎると理解されず、次々に殺されてつまらない商品になってしまう。その連続。デザイナーの多くは問屋やメーカーの御用聞きになってしまい、自由な発想を忘れてしまっていた。業界はクリエイティブの芽を摘んでいたんです。
 20年くらい前には、日本にも新しい靴のクリエイションが生まれる機運があったんですよ。モードエジャコモや卑弥呼、KISSAといった最先端の靴を作る会社が出てきて、そのなかのひとつにマリー・ルーという会社があって、学校を卒業した僕はそこに入ったんです。今思うと靴の実験室みたいなところだったな。“aka”の赤嶺勤や“salon”の酒井伸子、“BLAZE”の坂口晃二や“EBAGOS”の曽我部美加といった今、第一線で活躍しているデザイナーが同時期に所属していて、刺激がありましたね」  柳氏は、このままだと日本の靴の業界自体が悪くなってしまうという危機感さえ感じていた。そして、ちょっとした思いつきを実践することにした。
「ハンドメイドのケーキを家の前に並べて売るように、靴を作って売ればいいんだって気が付いたんです。そこでホームメイドブランドを“スタディー”と称して、気に入った靴を少しだけ作って売り始めたのがスタートでした」

*支えてくれたのは浅草の靴職人たち

 靴のデザイナーが自由なものづくりをしたいと考えても、実現するのは簡単ではない。大前提として専門技術がいるし、日本では分業化が進んでいるため、たくさんの工房とのネットワークが必要だからだ。新しいデザインの靴を創るためには、まずそのデザインに合う木型(ラスト)を作ることからはじまり、表革、裏革、前芯、後芯、中底、外底、ヒール、美錠、紐など、それぞれデザインにふさわしい専門の工房を選び、発注するのが靴作りの世界なのだ。
「手作りの良さを活かした、ハイクオリティで自分らしい靴ーーー日本で一番いい靴を作ると夢を抱いていましたから、浅草の小さな工房を探しました。そうしたら、一流の職人さんたちが僕の声に耳を傾けてくれたんです。職人の多くは高齢で、後継者を育てるためなら手弁当で手伝ってあげるよとさえ言ってくれました」
 もう一人、柳氏にとって忘れられない恩人がいる。日本を代表するセレクトショップ、ユナイテッドアローズの重松理社長だ。
「長いあいだ、靴とファッションの業界には境界線がありました。でも今から5、6年前、僕の周りのオシャレな女性たちは靴屋ではなく、セレクトショップで靴を買うようになっていました。僕も新しいマーケットを切り拓こうと、靴屋や百貨店ではなく、セレクトショップを販路にしたいと考えました。自分が大好きなセレクトショップ20軒に展示会の案内を出したのですが、ほとんど相手にされない。どこも日本の靴は扱いませんという返事でした。
 そんな折、たまたまユナイテッドアローズのセール会場に3歳の息子を連れて妻と一緒に出かけましてね。いたずら盛りの息子に手を焼いている僕らを見かねて、親切な社員の方が預かってくださったんです。買い物を終えてからその方と話をしていると、僕らの活動に興味を持ってくださり、重松社長を紹介してくれたんです」
 トランク2つに靴を詰め込んで会いに出かけた柳氏に、重松社長は「日本人にしか作れない靴を作れ」と言ったという。さらに重松社長はその場で電話をかけ、当時インポートのバイヤーとして活躍していた小野瀬慶子さんにスタディーのアトリエへ行くよう指示を出してくれた。こうしてユナイテッドアローズでスタディーの靴が取り扱われはじめると、それまで相手にしてくれなかった他のセレクトショップからも置きたいと声がかかり、ファッション誌でも取り上げられ、瞬く間にスタディーは日本人のデザイナーによる人気ブランドとして育っていった。
「重松社長が“日本人にしかできないものを作れ”とおっしゃったのは、ヨーロッパの靴のコピーではなく、日本人ならではのオリジナリティを重視しろということでしょうね。ヨーロッパの人たちが作る靴はエレガントで、格好良いのだけど、日本人の感性とはどこか違う。そのわずかな差異が日本人のオリジナリティで、僕らはそこを重視している。ユナイテッドアローズにしても日本にいいものが無かったからインポートを扱っていたけれど、日本のいい靴を育てなければいけないという視点を重松社長がお持ちだったから、僕の靴に興味を持ち、すぐ行動に出たのでしょう」
 柳氏のオリジナリティを盛り込んだ靴作り、それを支えてくれたのは先述した高齢の靴職人達だ。こんな素材を使いたい、こんなディディールにしたいという柳氏のアイディアを面白がって、取り組んでくれたという。さらに“日本人にしかできない靴作り”にはもうひとつ重要なポイントがある。靴の職人達は日本人の足の形や骨の構造を知り尽くし、膨大なデータを蓄積している。西洋人とはまったく違う日本人の足に合う、履き心地のいい靴を作ることができるということだ。

*若き靴職人、靴デザイナーに夢を与える

 柳氏がスタディーを集団にしたのに理由がある。一人のデザイナーの力では、日本人デザイナーによる新しい靴のマーケットを作ることができないからだ。
「スターが一人いてもダメ。たくさんのクリエイティビティの競演があって、はじめて靴の世界が刺激的なものになり、マーケットが広がるのです」
 現在、スタディーには5人のデザイナーのほかに、“プレ・スタディー”と呼ばれる修行中のメンバーがいる。彼らは東京芸大で彫金を専攻した人間だったり、ガラス工芸をやっていたなどユニークな経歴を持つ。彼らのように靴の仕事をしたいという若い人からの問い合わせが最近、頻繁に来るようになったという。こうした現象は靴業界全体に見られ、ここ数年、靴の職人やデザイナーを目指す人間が増えている。靴の専門学校として有名なエスペランサ靴学院には定員を大きく上回る応募があるほどだ。彼らが一流の靴職人となるまでには年月を必要とするが、高齢の職人達が切望していた後継者は確かに集まり始めている。
 彼ら若き靴作りの志願者達はこんな夢を描いている。“一足の靴をすべて自分の手で作りたい”、“自分の世界観を靴のデザインに表現したい”と。ところが現実には、靴業界はそれほど進化していない。依然と大量生産志向が強く、デザインは売れ筋が求められ、靴作りについては賃金の安い海外工場で生産するのが当たり前。国内製造であっても分業が主流だ。
 若者たちもこうした状況を知っているからこそ、独立系の会社や職人の元で働くことを望むのだ。若き靴作り志願者にとって「自分らしいデザインを描き、それをもとに職人が丁寧なものづくりを行い、消費者に支持をえている」、このスタディーの幸福な循環は希望として映っているに違いない。

 

*デザイナーの世界観と職人の技術が作る「日本の靴」

 さて、スタディーのデザイナーの面々はいずれも個性豊かなバックグラウンドの持ち主だ。「POE」の柳典子は、テレビのCMプランナーとして大手企業の広告を手掛けてきた人。柳氏の妻である。靴のデザインを始める前は「こんな靴が欲しい」と絵を描いて柳氏に手渡しては、それを作ってもらっていた。今から4年前、「そんなに作りたい靴のイメージがあるなら、自分で作ってみたら?」と柳氏に奨められ、靴のデザイナーに“転職”したのだ。
 手作りのぬくもりを大切にする「ROUGH TRADE」の須田昌広は、靴の底付職人である父親の影響を受け、大学卒業後は靴の企画会社に入り、パターン製作やラスト作りを学んだ。バンドを組んでいて、靴の仕事の合間を縫ってはツアーに出るという人物だ。シンプルで服に合わせやすい靴をデザインする「ATSUKO SUZUKI」はファッションが大好きな元スタイリスト。
「柳典子は4年前、鈴木は3年前にデザインをはじめたばかり。ただし二人ともファッションにすごい情熱を持ち、これまで服やアクセサリーにかなり投資してきています。そういう人たちが靴作りを始めると、リアリティが出てくるのでおもしろく、消費者である女性の共感を集めるのです。彼女たちは靴を作る際の細かな規制も知りませんから、発想は実にユニーク。
 靴作りのことを知っている僕と須田、それから熟練の職人たちが脇を固めていますから、彼女たちのアイデアを実現し、履きやすい靴にすることができます」
 スタディーという環境には、靴作りにまつわる規制や精神的な束縛がない。彼らは、写真、音楽、映像、旅、など個人的に興味を持った様々なものからインスピレーションを受けそれを靴作りに反映させる。だからこそ各々が自分らしさを匂わせる靴作りができる。
「マーケティングは膨大な費用を掛けられるグッチやヴィトンのレベルでなければ意味を持ちません。そうでない限り、平均的でつまらないものづくりになってしまう。むしろデザイナーは個人的なところに帰結することが大切」
 デザインは個人の内面から生まれてくるものではないのだろうか。流行やトレンドばかりに左右されずに、パーソナリティと、表現したいイメージ、そして自分自身で嗅ぎ取った時代の空気と重ね合わせることでオリジナリティ豊かな靴のデザインができる。そして、日本人の足を知り尽くした職人達が丁寧な仕事でデザインを形にしていく。それが「日本人にしかできない靴作り」ということなのではないだろうか。
「職人気質がチャンスを持つ時代だと思います。ただ単に利益を追求しても、消費者はそのことを察知してそっぽを向いてしまう。“靴の虎屋”になりたいですね。10年間、日本のいい靴を作りつづければ、残るかも知れない。一つの夢に向かって正直にやるしかないです」





writer's profile : 金丸 裕子(かなまる ゆうこ)
大学卒業後、考現学の手法でマーケティングを行うコンサルタント会社に勤務。1980年代から東京の街と生活者を継続的に観察し、生活文化としての消費をテーマに調査レポートを手がける一方、「日本経済新聞」「東京人」などでルポやコラムを執筆。
日経ビジネスオンラインで「ありがとうの買い物」を連載中。

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